アブ・シンベル
アブ・シンベルは、エジプトの見どころとしては最南端にあります。
これより南に向かうと、隣国スーダンとの国境に着きます。
朝8時35分のルクソール発の飛行機に乗り、アスワンを経由し、11時20分にアブ・シンベルに着きました。
アブ・シンベル空港はとても小さい空港です。
空港からアブ・シンベル神殿へ
空港から「Karnak」という無料の送迎バスがでています。
エジプト航空が運行しています。
空港に着いた人は、おそらく全員がこのバスに乗りました。
アブ・シンベル神殿に到着して、その2時間後にバスは再び空港に戻ります。
アブ・シンベル神殿
ラメセス2世は建設王?
アブ・シンベル神殿が建てられたのは、今から約3300年前のことです。
神殿などの建設が好きだったラメセス2世の造った神殿です。
今までに訪れたルクソール神殿、カルナック神殿、ラメセウム、そしてセティ1世葬祭殿は、どれもラメセス2世が建設に関わっています。
ルクソールとアブ・シンベルは300km以上離れています。
3300年前の人にとっての300kmの距離は、そうとうなものだと思います。
広い範囲に渡って、さまざまな神殿を建てたラメセス2世には感嘆します。
すっかりラメセス2世の名前を覚えてしまいました。
権力者は大きな建造物を造り、後世まで自身の名を残そうとしますが、その成功例ですね。
エジプトで一番好きな遺跡!
威風堂々たるアブ・シンベル神殿は、2つの神殿から成っています。
エジプトの見どころをいくつも見てきましたが、結果として一番満足したのがアブ・シンベル神殿です。
大きさからすれば、ギザのピラミッドが断然大きいのですが、全体としての迫力はアブ・シンベル神殿のほうが上だと思いました。
これほどの神殿が、何千年も砂の下に埋もれていたなんて信じがたいです。
1813年にスイス人の学者が、神殿の上部を発見しました。
発見した時の胸のときめきを想像すると、うらやましくなります。
知らないと気づかない壮大なプロジェクト
アブ・シンベル神殿はかつて水没の危機にさらされました。
アスワンハイダムというダムを建設する計画が進み、神殿が水の下に沈んでしまうことになったのです。
そこで、ユネスコが主体となって、1964年から5年間かけて神殿を元の位置より60m上に移動したのです。
神殿本体をブロック状に切断し、そのブロックを1つずつ移動し、再び組み立てたというのです。
壮大すぎる計画に、当時の工事の映像を見ても信じられないほどです。

60m移動したアブ・シンベル大神殿
アブ・シンベル大神殿
大神殿は、正面に4体のラメセス2世の座像があります。
像の高さはそれぞれ20mもあります。
そして、神殿内部には美しいレリーフがあります。
また、毎年2月22日と10月22日前後に、朝日が神殿最奥部の至聖所にまで届くように造られています。
この神殿には、アムン・ラー神など3体の像の他に、ラメセス2世の像もあります。
ラメセス2世は、神と共に自らの像にも日の光を当てることで、自らを神格化していたようです。
大神殿の正面の迫力とデザイン、太陽の動きを計算して建物の向きや内部を
造っていること、そして、太陽の光を利用してファラオ自身を神格化したこと。
そのすべてのことが3300年も前の文明によって成されたことです。
アブ・シンベル小神殿
ラメセス2世が妻の王妃ネフェルトアリとハトホル神に捧げるために建てた神殿です。
小神殿といっても、とても大きな神殿です。
内部はライトアップされていて、ハトホル神のレリーフなどを見ることができます。
神殿正面にご注目
大神殿の正面には座像がありましたが、小神殿は立像が並んでいます。
立像はラメセス2世が4体、ネフェルトアリが2体です。
ネフェルトアリを左右から守るようにラメセス2世の像が立っているのがいいですね。
また、二人の像の間の下のほうには、その子ども達の像も彫られています。
ラメセス2世が家族思いだったようにも感じられます。
一方、ネフェルトアリに捧げる神殿でありながら、自身の像を4体も造っています。
自身のファラオとしての力を誇示している神殿のようにも思えます。