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韓国はどうして日本を嫌うのか?
日本に対する韓国の思いについて考えてみました
韓国の反日感情、反日教育は日本のメディアでもよく取り上げられます。
竹島問題や従軍慰安婦像のことが話題になると、この問題はいつまで続くのかなと思ってしまいます。
しかし、今回韓国を訪れてみて、韓国人の立場に最大限寄り添ってみたらどうなるだろうと考えました。
私は生粋の日本人ですが、できる限り韓国人の思いを推察してみました。
まずは韓国の目線で、日本と韓国の歴史を見つめ直してみます。
韓国と日本の歴史
1875年9月20日に江華島事件が起きました。
朝鮮の江華島付近において、日本と朝鮮の間で起こった武力衝突事件です。
日本の軍艦が朝鮮の海域に侵入したため、日本軍は朝鮮軍から砲撃を受けました。
軍事力で上回る日本は応戦し、結果として朝鮮の永宗城島を占拠しました。
これをきっかけに、日本は日朝修好条規を締結させます。
これは朝鮮からすれば不平等な条約でした。
この条約によって、日本人は関税が免除されていることをいいことに、朝鮮に渡り、お米などの物資を日本に持って帰ります。
これにより、朝鮮は食糧難になりました。
さらに、1882年の壬午軍乱(じんごぐんらん)の後には日本軍がソウルに駐留するようになります。
1894年に日本は日清戦争に勝利し、翌年には下関条約を結びます。
条約の内容はいくつかありますが、その中に、「朝鮮の独立を認めること」というのがありました。
これにより、朝鮮は中国の支配から解放されたのです。
しかし、朝鮮は手放しで喜ぶことはできませんでした。
中国の力が弱まったことで、日本に植民地化されてしまうと恐れたのです。
そこで、朝鮮はロシアと親密になって、日本の支配を免れようとしました。
その中心人物が、第26代国王・高宗の妃である閔妃です。
朝鮮がロシアと親しくなろうとすることを日本は面白く思いませんでした。
1895年に日本の公使である三浦梧楼(みうら・ごろう)が中心となって、景福宮で閔妃を殺害し、さらに遺体を燃やしてしまいます。
この事件後に三浦梧楼が処分を受けることがありませんでしたので、朝鮮の人たちは日本に対して今まで以上に不満を抱きます。
自分たちの王様の妃が殺されてしまったので、不満になるのも当然でしょう。
さて、下関条約の内容にあったように、1897年に朝鮮は中国から独立します。
国名を朝鮮から大韓帝国へと改めます。
中国の属国ではなくなった大韓帝国は、君主を「王」から「皇帝」に改めます。
それまでは中国にだけ「皇帝」がいて、属国の朝鮮君主は「皇帝」とは名乗れず、「王」と呼ばれていました。
「皇帝」も「王」も同様に偉い気がしますが、格付けがあったのですね。
中国から独立できたといっても、先ほど記したように、大韓帝国の人たちは安心できませんでした。
日韓協定によって、大韓帝国は財政や外交において日本の支配を受けたのです。
さらに、日本はソウルに統監府を置き、大韓帝国の政治も支配してしまいます。
初代統監に伊藤博文が就きました。
このままでは完全に植民地になってしまうことを恐れた大韓帝国の皇帝は諸外国に助けを求めました。
ハーグ密使事件です。
オランダのハーグで開催された第2回万国平和会議に3人の密使を送りました。
その密使たちは、藁にもすがる思いで「大韓帝国においての日本の支配は不当だ。助けてください」と世界に向けて訴えました。
しかし、日本に外交権を奪われていたので、大韓帝国の訴えは無効でした。
日本はハーグ密使事件に怒り、大韓帝国の軍隊を解散させます。
それにより、大韓帝国の人たちは強い不満をさらに募らせました。
その中の1人、安住根(アン・ジュングン)が1909年に初代統監の伊藤博文を暗殺します。
(日本の初代内閣総理大臣の最期は悲しいものでした……)
その翌年の1910年に日韓併合条約によって、韓国は完全に日本の植民地になりました。
日本語教育が始まり、朝鮮語及び漢文の授業以外はすべて日本語での授業になりました。
小学校や中学校で勉強していたら、突然「今日から日本語で勉強しなさい」と言われたわけなので、さぞ不安だったでしょうし、屈辱も感じたことでしょう。
それだけでなく、言論、出版、集会、結社などの自由を奪われ、土地も没収されていきました。
1919年3月1日に200万人以上の韓国人が集まり、臥薪嘗胆の思いで独立を訴えます。
この三・一運動は、今の韓国人にとっても大切な出来事になっています。」
2019年はちょうど100周年でした。
しかし、韓国人のナショナリティは一層否定され、1938年には朝鮮語の教育は完全に禁止となり、日本語のみの教育になりました。
また、日本に強制連行され、重労働を強いられました。徴用工問題です。
日本が第二次世界大戦に破れるまで、この植民地支配は続きました。
現在の韓国
今現在、韓国では、「ドクト(竹島の韓国名)は韓国の領土だ」と韓国国内の至る所で訴えています。
駅構内に竹島の模型を設置したり、建物の外壁に先のメッセージを掲示したりしています。
また、私たちが仁川国際空港に着くと、KORAIL空港鉄道でソウル市内に向かいます。
その空港鉄道内のモニターでは「ドクトが韓国固有の領土である。日本も本当はその正当性を知っているはずだ!世界も真実を知っている!」と訴えています。
そのメッセージは片道2回流されています。
観光を楽しみにしている日本人からすれば、その訴えに引いてしまうかもしれません。
しかし、このモニターを見ているのは日本人だけではありません。
日本人以外で、韓国を訪れた外国人も見ています。
電車の中でさえ、竹島問題について世界に訴えている韓国の懸命な姿勢には驚きました。
私がこの時に思い浮かんだのが、先ほど記した過去の歴史です。
かつて日本に朝鮮半島を奪われました。
戦後その日本から領土を取り戻した韓国にとって、二度と自国の領土を日本に渡したくないという気持ちが強いのかなと思いました。
竹島という小さな島でさえ渡したくはないのでしょう。
徴用工などの問題も考えました。
1965年の日韓基本条約および日韓請求権協定が結ばれ、韓国は日本から多額の賠償金を受け取りました。
この条約には「戦後処理は完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」と記されています。
だから、解決はしています。
でも、それは国家間の解決です。
ただ、もし自分または、自分の親、兄弟、祖父母が日本人から嫌な目に遭わされたら、それが条約で解決しようとも、日本に対する憎しみの感情は癒えないのではないでしょうか。
怒りや憎しみの感情はそんな簡単に収められないような気がします。
私は、日本政府や日本の企業が韓国の人に対してこれ以上賠償金を支払う必要はないと思います。
竹島を韓国に譲る必要もないと思っています。
ただ、韓国の人が日本を嫌いだという感情を持っていることには理解を示せます。
韓国の学校で、日本が韓国にしてきた歴史を教えれば、それは自然と反日教育になるような気がします。
野球やサッカーなどのスポーツで、なんとか日本には勝ちたいという気持ちがあるのもうなずけます。
私は韓国が好きですが、韓国が日本を嫌いでも仕方のないことだと思います。
その感情を無理に変えることはできないのでしょう。
被害者が加害者を嫌うのは当然です。
日本は韓国にこれ以上お金を支払う必要はないと思いますが、ただもう少し日本の学校では、日本がかつてアジアの国々にしてきたことをしっかりと教えても良いと思います。
それがせめてもの道義的な償いや責任なのかもしれません。
*この文章を書くにあたって、日本側の言い分は控えることにして、韓国の立場になってみました。そのあたりをご理解いただきますようお願い致します。
従軍慰安婦像
日本人の観光客が従軍慰安婦像のベンチに座って、笑顔で楽しそうに記念写真を撮っていました。
「笑顔で写真を撮っているのはどうなのだろう」と思いました。
従軍慰安婦像のベンチを設置した人も、「日本人が楽しんでいるとは!?」と戸惑うことでしょう。
ちなみに、他の外国人もベンチで記念写真を撮っていましたが、笑顔でした。
設置した韓国の人たちにとっては、思惑通りなのでしょうか。
三・一運動の記念日
さて、先ほど三・一運動に触れました。
1919年3月1日に韓国が日本から独立しようと、独立運動をおこした日です。
そのため、毎年この日は、韓国各地でさまざまな催し物が開かれます。
ソウルの市庁駅前にソウル広場があります。
ワールドカップの応援の際に、多くの韓国人が集まり、巨大スクリーンの前で応援している広場としても有名です。
三・一運動の記念日は日本人にとって危険!?
3月1日にホテルのフロントの人に、「日本人ならソウル広場には行ってはいけません。危ない目に遭うかもしれません」と言われました。
たしかに、現在でも韓国の方で反日感情を持っている人はいますので、3月1日の記念日は、日本人に対していっそう嫌悪感を強めるかもしれません。
ソウル広場に行ってみる
当日マイナス5℃の寒さの中、私は少し緊張しつつ、ソウル広場に近づいていきました。
シュプレヒコールでも聞こえてきたら、引き返したほうが良いかもしれません。
しかし、実際は、どうも様子が違います。
目の前まで無事に着きました。
韓国の民族舞踊を踊っている方たちがいるだけで、危険なムードはまったくありませんでした。
しかし、ホテルの人がわざわざ警告してくれるぐらいなので、それなりの根拠があるのでしょう。
安心してはいけないのかもしれません。
基本的に安全だと思いますが、3月1日に韓国に滞在している場合は、その記念日の意味を心に留めておきましょう。
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